山形県米沢市の千眼寺で4日、豊作を願う師走の風物詩として親しまれている「裸餅つき」が早朝から行われた。
さらしを巻き、はちまき姿の地元の男性20人が棒状の杵(きね)を手に「ねり歌」、「つき歌」、「あげ歌」の「餅つき歌」を歌いながら餅をつく。最後に「あげろ、餅あげろ、天竺(てんじく)までも」と威勢のよい掛け声に合わせ餅を天井に突き上げると、見物客から歓声が上がった。
1641年に虫害による大凶作があり、境内にある保呂羽堂の縁の下の砂を虫よけにまいたところ、豊作になり、村人たちが年越しに感謝の餅を供えたのが始まりとされている。
3基の木臼で、この日、約500キロの餅をつき、見物客に雑煮、ぜんざい、納豆餅が振る舞われた。米沢市の玉橋博幸さん(70)は「ここに来ると年の瀬を迎えたと感じる」とつきたての餅に舌鼓を打っていた。【竹内幹】
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