日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせ、被爆者と一緒に核兵器廃絶運動に関わる若い世代もノルウェー・オスロに渡航しています。授賞式を控えたオスロの街の様子を、一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」スタッフの浅野英男さん(28)に報告してもらいます。
街中に折り鶴のポスター
羽田空港を飛行機で出発してデンマーク・コペンハーゲンで乗り継ぎ、現地時間の8日夜(日本時間9日未明)にオスロに到着しました。私は原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーの被爆者と行動をともにしていますが、日本被団協の代表団とも同じ便でした。空港に降り立つと、現地のNGO関係者らが横断幕を持って出迎えてくれました。
オスロの街はクリスマスムードに包まれ、雪が薄く積もっています。授賞式に合わせた記念行事「ノーベル平和ウイーク」が始まり、日本被団協をイメージした折り鶴のポスターが街中の至る所に張ってあり、観覧車の中央にも折り鶴が描かれていました。
被爆樹木の種に願いを込めて
日本よりも一段上の寒さの中、9日には早速、オスロ大学植物園で被爆したイチョウの種を贈呈するセレモニーに参加しました。広島の原爆を生き抜いた被爆樹木の種は、2017年にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)がノーベル平和賞を受賞した際にも、この植物園に贈られました。
新たな種を手渡した広島の被爆者、佐久間邦彦さん(80)は7年前は一参加者としてセレモニーに立ち会ったそうです。佐久間さんは「もう一回戻ってくるとは思わなかった」と言って、前回とはまた違う気持ちがあると話してくれました。
佐久間さんは現在の世界情勢を懸念しつつ「自分自身が植えた種が、未来に向かって育ってほしいと強く思った。被爆樹木は私たちと同じように世界を見ていく」と話していました。
それを聞いて、被爆樹木が無事に育つような平和な世界を作っていくという思いを受け継ぐセレモニーだったと感じました。
「言葉だけで表現できない被害」
夕方にはオスロ図書館で被爆証言会があり、14歳の時に広島で被爆した詩人の橋爪文さん(93)が登壇しました。
開場前に現地の人が列をなして並び、会場はほぼ満席状態に。冒頭、主催するICANノルウェーのメンバーが「これは14歳で被爆した一少女の記憶です。あなたが14歳の時を想像してください」と呼びかけ、橋爪さんが証言をしました。
印象的だったのは、橋爪さんが「言葉だけで表現できない、それが原爆の被害なんだ」と話していたことです。終了後、海外のジャーナリストが熱心に質問していて、参加者にも橋爪さんの思いは伝わったのではないかと感じました。
メッセージを自分のものとして
10日はいよいよノーベル平和賞授賞式です。私自身が期待していることは主に二つあります。
一つは、被爆者や関係者の皆さんが受賞を喜ぶ姿を見たいということ。もう一つは、授賞式で演説する日本被団協代表委員の田中熙巳さん(92)のメッセージをはじめ被爆者が何を世界に残し未来に伝えようとするのか、そのメッセージを自分のものとして受け止めたいということです。
被爆者の皆さんと行動をともにし、自らの体験や語ってきたことを次の世代にどうつないでいくかについて一生懸命取り組まれていると感じます。今回の受賞を機に「どう次につなげるか」がより一層問われると思っています。【聞き手・椋田佳代】
あさの・ひでお
1996年、茨城県生まれ。神戸大大学院修了後、米ミドルベリー国際大学院モントレー校で核政策などを学ぶ。日本原水爆被害者団体協議会などでつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」のインターンとして、2022、23年の核兵器禁止条約の締約国会議に派遣された。24年4月から一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」専従スタッフ。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。