国立文化財機構や地元研究者らが協力して蔵から物を運び出した=石川県能登町鵜川で2024年3月30日午前10時23分、平塚雄太撮影
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 能登半島地震の発生から3カ月が経過したが、一般住宅や寺社など倒壊の危険がある建物内に残された文化財は依然多く、「救出」や保護が課題となっている。そんな中、3月に石川県の研究者たちが保全のためのボランティア団体を結成。3月30日に初の大規模な「救出作戦」があった。

 「幕末の弘化4年(1847年)の記述がある」。石川県能登町鵜川の河合元一さん(82)宅の蔵を調べた、同町教育委員会の寺口学学芸員は報道陣に説明した。漆器を収めた箱に江戸時代末期の元号が書かれていたという。「いつ買ったか記録した貴重な資料でしょう。今後分析が必要ですが、当時の輪島塗かもしれません」と続けた。

 河合さんの先祖は賤ケ岳の合戦(1583年)に参加した武士だ。加賀藩主の前田家に仕え、藩の役人として江戸時代にこの地に定着した。河井さんは1917(大正6)年に建てられた家と蔵や、先祖代々伝わる文書などを大切に保管してきたが、元日の地震で建物は傾いて河合さんも避難を強いられ、貴重な資料は中に残された。

見つかった史料を整理する能登町教育委員会の学芸員。昭和初期、鵜川地区にできた警防団(今の消防団)に関する記録文書などがあった=石川県能登町鵜川で2024年3月30日午後0時10分、平塚雄太撮影
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 そこに研究者らで結成した「いしかわ歴史資料保全ネットワーク」(保存ネット)の約20人が文化財の救出に入った。蔵を中心に100点以上の資料を見つけて運び出し、車で安全な町内の別の場所に移した。元一さんの長男で東京から駆けつけた会社員、兵衛さん(45)は「本当にありがたい。先祖代々の品がどうなるか不安だった」と胸をなで下ろした。

 メンバーは金沢学院大の本多俊彦教授(日本中・近世史)を代表とする石川県内の大学や博物館の研究者、自治体職員らで構成。事務局長を務める金沢大人間社会研究域の上田長生(ひさお)教授(日本近代史)は「地元の文化財レスキューの受け皿になりたい」と意気込む。

 阪神淡路大震災以降、大規模災害の文化財救出に備えて地元の研究者がこうした保存ネットを結成してきた。石川県でも2007年の能登半島地震の際に一時保存ネットが活動したが、その後は途絶えていた。今回の地震を受けて研究者たちが「このままでは地域の貴重な資料が散逸する」と3月1日、改めて保存ネットを発足した。

 文化財のレスキューは文化庁からの委託を受け、国立文化財機構の文化財防災センター(奈良市)が担う。ただ機構職員の数は限られており、これまで大規模な作業はできなかった。保存ネットの立ち上げで今後、救出作業を本格化できる見込みだ。

蔵から運び出された史料は整理され、車で町内の安全な場所に移された=石川県能登町鵜川で2024年3月30日午前10時44分、平塚雄太撮影
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 文部科学省によると、石川県内で地震の被害を受けた文化財は164件。ただ、河合さんのような個人宅にあって登録を受けていない史料は含まれていない。3月末までに約90件の救出要請があったが、河合さん宅の救出が4件目だった。

 同センターの高妻(こうづま)洋成・センター長は「地元の史料をよく分かっている人たちにご協力いただけるのは大変心強い」と歓迎。能登地域は歴史的な文化財が多く残っているといい、「今後も協力しながら迅速に救出を進めたい」と力を込めた。【平塚雄太】

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