被災地への思いを込めたかえりびなを展示している西村悌子さん=滋賀県守山市守山3の「アートスペース 絆」で2024年4月4日午後5時13分、飯塚りりん撮影
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 約1300個もの色とりどりのひな人形がずらりと並んでいる。西村悌(てい)子さん(80)が展示する「かえりびな」だ。ギャラリーを満たすのは阪神大震災や東日本大震災などの被災地に向けられた西村さんの慈しみだ。生まれ育った滋賀県守山市からは離れているが、西村さんは寄り添うように悲しみが刻まれた地を思い続けている。【飯塚りりん】

 「じっとしていられなかった」

 かえりびなが展示されている守山市のギャラリー「アートスペース 絆」で西村さんは振り返った。1995年の阪神淡路大震災直後、神戸に向かった。

 その1年前から心臓の病気で入退院を繰り返し、親友の死もあって気持ちも落ち込んでいた頃だった。華やかな印象を持っていた神戸の街が焼け野原になっていて、自身の境遇と重なった。

 だが、がれきを片付ける被災者の姿に「自分も前を向かなければいけない」と奮い立たせられた。「何か人のためにできることはないか」と模索し、2000年7月に精神障害者の就労支援などに従事するNPO法人「スペースウィン」を守山市に立ち上げた。

 11年3月に起きた東日本大震災後も「自分の目で確かめ、できることをしたい」と福島県を訪れた。変わり果てた被災地の姿を前に抱いたのは何気ない日常を失う恐怖と事業所の利用者らへの責任感だった。この時から「利用者に季節を感じながら一日一日を大切に過ごしてほしい」という思いを持つようになった。西村さんは事業所で毎日、利用者の弁当を作り、季節ごとのイベントや月1回の絵画教室などを開いている。

 東日本大震災から数年後、西村さんは知人を介してボランティア団体「箱根勝手に応援隊」の活動を知った。神奈川県の茂村ひとみさん(76)が立ち上げた団体で、被災地に赴き、被災者と一緒にかえりびなを作って慰めたり、元気づけたりしていた。西村さんは「被災者が前向きになれる」とすぐに参加を決めた。

 「応援隊」の一員として西村さんは、熊本地震、西日本豪雨などの災害時に現地を訪れ、被災者と一緒にひなを作ってきた。可愛らしいひなに喜ぶ被災者や、大勢で一緒の作業をする中で「久しぶりに感情を出した」と話す被災者もいたという。「応援隊」のメンバーは東北地方、兵庫、岡山、熊本3県などの被災地と守山市にも広がり、各地を巡回する展示のたびにひなを共有しあったり、ひなづくりで足りない材料を送り合ったりしている。

 もともとかえりびなは、還暦を迎えた女性に、再出発を祝う思いを込めて贈るものとされてきた。いつしか「震災で行方不明になっている人が無事に帰って来られるように」との願いも込められるようになった。

 多くの被災地に心を砕いてきた西村さんはかえりびなに思いを託している。

 「被災地の方には人生を再スタートする前向きな気持ちを持ってほしい。滋賀県内では災害が少なく、震災を人ごとと捉えられてしまいがちだが、飾っておくことで震災や防災のことを話すきっかけにしたい」

 かえりびなは31日までの守山市での展示が終われば、福島県浪江町の展示会場に送られ、その後、今年の元日に地震に遭った能登半島でも飾られる。

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