有名なギザの三大ピラミッドとそれに付随する埋葬施設は、紀元前2550年ごろから紀元前2490年ごろの間に造られた。各ピラミッドの建造者は、写真の手前から順番にメンカウラー王、カフラー王、クフ王だ。(Photograph by Cordon Press)

永遠に壊れることのないように造られたという、エジプトのギザにある三大ピラミッド。まさにそのとおりになっている。エジプト古王国時代を代表する遺跡で、約4500年前に建てられた。

死後、神々の一員となると信じていたエジプトの王(ファラオ)は、神殿を建立して神々にささげ、自らのためには巨大なピラミッド型の墳墓を建設し、来世での生活に必要な品々で埋め尽くした。

ギザにある3基の大きなピラミッドはそれぞれ、王宮や神殿、船着き場などを備えた複合施設の一部だ。以下では、誰がどうやってピラミッドを造ったのか、そして、これまでに中から発見されたものなどについて紹介する。

ギザの三大ピラミッドを造った人は?

ギザで最初のピラミッドを建設したのはクフ王だ。建設は紀元前2550年ごろに始まった。3基の中で最大で、元々の高さは約147メートルだったが、現在はキャップストーン(ピラミッドの頂上部に置かれる石材)を含め全体を覆っていた化粧石が失われてしまったため、若干低くなっている。建設には重量2.5トンから15トンの石が約230万個使われたと推定されている。

2番目のピラミッドはクフ王の息子であるカフラー王によって紀元前2520年ごろに建てられた。ファラオの顔と獅子の体を持つスフィンクスの巨像が参道の入り口にそびえるカフラー王のピラミッドは、ギザでも際立った存在だ。

石灰岩でできたスフィンクス像は、1800年代まで頭部を除いて砂に埋もれていた。カフラー王の墓守りと考えられるが、カフラー王が建てたという明確な証拠はない。

3番目のピラミッドは最初の2基に比べてずっと小ぶりだ。高さはおよそ半分の約66メートルで、カフラー王の息子であるメンカウラー王によって紀元前2490年ごろに建てられた。長い参道で結ばれた2つの神殿と、3人の王妃のピラミッドが付随している。

メンカウラー王のピラミッドの内部には、ギザだけでみられる精巧な装飾を施された壁龕(へきがん)があり、王の玄室は円天井になっている。王の石棺は1838年、輸送していた船が航海の途中にジブラルタル沖で沈没し、失われてしまった。

ピラミッドはいかにして建てられたか

ピラミッドの建設には古代の巧みな技が用いられており、どのようにして造られたかは現代の科学者や技術者にさえも、はっきりとは分からない。だが、建設に携わった人々やピラミッドの実現に必要だった政治力については多くのことが分かってきている。

造営に携わったのはエジプト人の熟練労働者で、現場の近くには彼らのために約7万平方メートルに及ぶ町も造られていた。製パン所や動物の骨が多数残されていることから、労働者たちは十分な食事をとっていたと考えられる。資源が豊かで、高度に組織された地域社会の痕跡が発掘されていることから、強力な中央権力の存在がうかがわれる。

エジプト全土にある遺跡やパピルスに残された古代の記録から、アスワンの採石場で切り出された花崗(かこう)岩や、シナイ半島の銅製の切削工具、レバノンの木材など、ピラミッドの建設に必要な資材はナイル川や運河を利用して船でギザ台地へ運ばれたことが分かっている。労働者の生活を支えるための家畜も、ナイル川デルタの近くの農場から船で運ばれた。

労働者と、彼らが必要とする食料やその他の生活必需品はエジプト全土から集められたと考えられている。ピラミッド建設は、ファラオの富と支配力を誇示する、いわば国家プロジェクトだったのだ。

このレリーフに描かれているクフ王の娘ネフェルティアベトなど、ファラオの親戚は、ファラオのピラミッドのそばに葬られた。レリーフは、ギザにある彼女の墓から発見されたもの。(Photograph by Werner Forman, Gtres)

実際にどのように石が積み上げられていったかについては、まだはっきりとした結論は出ていない。巨大な直線型の傾斜路を造り、そこを水や土で湿らせて、そり、ロープ、ころ、てこなどを使い、運び上げたというのが定説になっている。

だが、一部の専門家は、ピラミッドの外側を回るようにジグザク型あるいはらせん状の傾斜路を築いたのではと考えている。中にはピラミッドの内部に傾斜路を築いたという説もあり、大きな議論を呼んでいる。

ピラミッド建設の秘密はおそらく内部に隠されている。将来、画像技術がさらに進歩し、石の積み方などが解明されれば、この時代を超えた建造物がどう出来上がっていったかが分かるだろう。

ピラミッドは古代エジプト社会の形成を助け、そのありようを後世に残した。ピラミッドが残っているおかげで、遠い昔に失われてしまった世界を今、うかがい知ることができる。

「現代の人はピラミッドを単なる墓と考えがちですが、そうではありません」と、米ハーバード大学のエジプト学者ピーター・デア・マヌエリアン氏は言う。「装飾を施されたこれらの墳墓には古代エジプト人が送った人生のあらゆる側面が刻まれています。彼らがどう死を迎えたかだけではなく、どう生きていたかが分かるのです」

ピラミッドの壁画には畑仕事や家畜の世話をする農民、漁や野鳥狩り、大工仕事、人々が衣装を身に着けて宗教儀式や埋葬を行う様子が描かれている。

碑文などからは古代エジプトの言語と文法の研究ができる。「ファラオ文明に関して知りたいことがあれば、答えはほぼすべてギザの墓の壁にあります」とデア・マヌエリアン氏は言う。

こうした貴重な資料の多くは「デジタル・ギザ」で誰でも無料で閲覧が可能だ。これはハーバード大学が学術プロジェクト「ギザ・プロジェクト」の一環として、世界の主要な研究機関からギザに関する写真、平面図、図面、写本、遠征日記などを集めて作ったオンラインデータベースだ。

データベースには、今は消えてしまった壁画や碑文、紛失あるいは破壊されてしまった工芸品、一般には公開されていない墳墓などについての資料が収められている。

デジタル・ギザは、ピラミッドの3Dバーチャルツアーも提供している。実際にピラミッドを見る体験には及ばないかもしれないが、世界中のどこからでもギザ台地を訪れ、ピラミッドや神殿、さらには埋葬室までも説明付きで案内してもらえる。

新たに発見された空間

ギザのピラミッドにはまだ多くの謎が残されている。そして新たな発見は、さらなる疑問を生んでいる。

「スキャン・ピラミッド計画」は2015年から行われている国際調査プロジェクトだ。エジプト考古省の監督の下、国際研究チームが現代の科学技術を駆使し、ピラミッドを傷つけることなく内部の調査を行っている。用いるのは高エネルギー物理学の進歩で可能になった、宇宙から降り注ぐ素粒子をとらえて解析する手法だ。

これによって、クフ王のピラミッドで「大回廊」に匹敵する大きさの空間や、「North Face Corridor(北面回廊)」と名付けられた回廊などが新たに発見された。いずれも4500年にわたって未知だったものだ。

これらの空間が何であるかはまだ分かっていないが、儀式的な意味合いは薄く、おそらくは建設の途中に、重量を分散するために配置されたのだろうと多くの専門家は考えている。

文=Brain Handwerk/訳=三好由美子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年5月30日公開)

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