長崎県にお住いの西本尚子さんが80歳の誕生日を迎えるにあたり、警察署への普通自動車免許の自主返納と合わせて25年間連れ添ってきたFD3S型RX-7をマツダ株式会社へ譲渡するセレモニーが、九州マツダ赤迫店で行われた。ベストカーWebとしては行かねばなるまい。どんな譲渡式だったのか、報告しよう。

文:ベストカーWeb編集部/写真:ベストカーWeb編集部、アトリエポポロ・西本誠

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■80歳を迎えた12月18日に愛車RX-7をマツダに譲渡し免許を自主返納!

1999年12月から25年間連れ添ってきたRX-7と80歳の誕生日を迎えた西本尚子さん(長崎県在住)

 2024年9月、地元のNBC長崎放送がRX-7を25年間乗り続けてきた西本尚子さんが免許の返納とともに25年間連れ添った相棒であるRX-7を譲り受けてくれる人を探している、と放送。その後、約400件を超える応募メールが届いた。そのYoutube動画をたまたま見ていたマツダの開発担当役員が広報部に「手を挙げたらどうか」と連絡し、それを受けた東京のマツダ広報部員が西本さんにメールを送った。

 西本さんに送られたメールは「輝かしい人生を引き継いで世の中の人に元気を与えたい」という内容で、RX-7を広報車として活用したいという提案だった。西本さんは「東京広報部の田中さんからのメールでした。情熱と優しさが感じられて輝いて見え、もうここしかないと思いました」とメールを読んだ時のことを、目を輝かせながら振り返っていた。

最後の1年間は息子さんと一緒にいろんなところへドライブしたという(撮影/西本誠さん)

 譲渡式で西本さんは、スッキリとした表情で挨拶。

 「今日80歳を迎えました西本尚子です。今日はたくさんの方々にお越しいただき恐縮しています。ここに来るときはセブン(RX-7)で来ました。帰りはひとりです。25年間ともにしてきた相棒です。今日でお別れですが、78歳の時に、80歳で免許を返納しようと決めてから、2年間さらに楽しく乗ってきましたので手放すことになんの悔いもありません(キッパリ)。最後にセブンには25年間本当にありがとうという言葉を贈りたいと思います。“セブン25年間ありがとう”」。

 今回のRX-7の譲渡式には地元長崎の放送局や西日本の新聞社だけではなく、東京の主要自動車なメディアも駆けつけた。ここで質疑応答の内容の抜粋をお届けしよう。

Q:今日がRX-7に乗る最後の日となります。今朝、こちらに来るとき、どんな思いだったのでしょうか? もう長崎を走ることはおそらくないでしょう。RX-7が広島や横浜に行ってしまって寂しさを感じませんか?

西本さん:寂しさは全然なくてセブンがマツダに行くという嬉しさだけです。横浜に行ってもっと多くのみなさんに見ていただけるということで喜んでおります。今朝、ここに来る時ですが、そうだ、クルマのなかのものを片付けなくてはと気付いて、長年セブンのなかに置いていた小さな猫ちゃんのぬいぐるみを家に戻しました。

マニュアル車を操る西本尚子さん。相棒・セブンはクルマとの一体感が最大の魅力という。マツダのディーラー関係者を除き、運転者は西本さんだけだという

Q:一番遠出したところは?

 鳥取の米子、はわい温泉です。帰りに鳥取砂丘を見に行きたかったのですが、凄い雨が降ってきたので、そのまま行かずに帰ってきてしまいました。朝出て夜着いて800km一気に走りましたね。忙しかったです(笑)。私は走ることが好きなので、どこへ行くにも走るだけで幸せです。最後の1年間は、息子と一緒にいろんなところへドライブしたのが一番の思い出ですね(画像ギャラリーに息子さんが撮影されたその思い出写真を掲載しています)。

Q:RX-7の一番好きなところは?

西本さん:一目惚れでした。特にフロントよりもリアのほうが好きですね。滑らかな流線型のフォルム、エンブレムが大好きです。

Q:25年間乗ってきて改めてRX-7の魅力を伝えるとしたら……

西本さん:クルマに乗った瞬間から一体になる、クルマとの一体感がセブンの魅力だと思います。私は走ることが好きだったので走ればそれが思い出です。身体に染みついていますので時々思い出しそうです。また乗りたいと思うかもしれませんね。

西本尚子さんのRX-7をマツダに譲渡するセレモニーが長崎県の九州マツダ赤迫店で行われた。右からマツダ国内営業本部土井耕輔本部長、RX-7オーナー西本尚子さん、九州マツダ赤迫店木本健介店長、九州マツダ有國嘉弘社長

 譲渡式では、まずマツダ国内営業本部土井耕輔本部長が「西本さんが25年間、RX-7を大切にご愛用していただきまして、マツダを代表して心より感謝を申し上げます。今日まで愛車とともに過ごしてきた豊かな物語をお聞きして大変感銘を受けました。しっかりと引き継いで、これからは広報車として新たないきいきとした物語をしっかりと紡いでいきたい」と挨拶。

 続いて土井氏がマツダ代表取締役社長兼CEO毛籠勝弘氏が西本さんに寄せた御手紙を代読(一部抜粋)。

 「25年の長きに渡り、マツダRX-7を人生の相棒として乗り続けていただきましてありがとうございました。西本様が1966年に免許を取得されて以来、クルマへの情熱と愛情を持ち続けてこられたことに大変感銘を受けました。人生のなかで6台のクルマたちとの出会いがあったと伺っておりますが、そういったクルマたちとご家族とともにドライブ旅行を楽しまれた思い出などは、西本様がクルマを単なる移動手段ではなく人生の大切なパートナーであることを改めて感じるものでした。

 シルバーに輝くRX-7を迷わず選ばれたその瞬間と喜びを今でも鮮明に思い出されるのはないでしょうか。実は西本様にお乗りいただいたRX-7は私がマツダに入社後初めてマーケティングの責任者を担当させていただいたクルマでもあり、私にとっても大変思い出のあるクルマです。そんなRX-7が西本様の人生に彩りをお届けすることができたのであればマツダの社員冥利に尽きると感じています。

 まだまだお元気のなか、免許を返納され、愛車を手放す決断をされたことにも心から敬意を表します。

 RX-7に対して「まだまだ乗れるクルマだからいい人に出会ってね」とおっしゃったとのことですが、弊社がRX-7を乗り継いでいただくことで、メディアの記事やイベントなどでの展示を通じて、多くの方々に元気と希望をお届けできると信じております。

 西本様が25年間愛情を込めてお乗りいただいたように、今後弊社でもしっかりメンテナンスを行い、クルマの持つ力で人生の活力を得ながら愉しく元気に生き生きと過ごされた西本様のエピソードとともに大切に取り扱ってまいります。

 暖かい季節が来ましたらぜひマツダの本社のある広島に起こしください。西本様にお目にかかれることを楽しみにしております。広報車のRX-7とともにお待ちしております」。

 続いてRX-7を販売し、25年間メンテナンスを行ってきた九州マツダ赤迫店の木本健介店長から花束が贈られた。木本店長は「車検や点検、保険もすべて任せていただきました。西本さんは穏やかでポジティブな方。お越しくださった際にはいつも元気をもらっていました。息子さんが所有するアクセラとのメンテナンスや車検がありますのでこれからも気軽に遊びに来てください」と西本さんとのご縁を継続していきたいと語っていた。

ナンバープレートと中島美樹夫氏によるデザインスケッチ、鍵がかけられるプレートがセットになったシャドーボックスが西本さんに贈呈

 さらに元マツダのデザイナーで2代目コスモ、初代RX-7からユーノスコスモにいたる、数多くのマツダの名車のエクステリア/インテリアを手掛けた、中島美樹夫氏によるデザインスケッチとナンバープレート(現在はコピーだがマツダへの譲渡後に本物に換えられる)、鍵(本物の鍵)をぶら下げられるプレートがセットになったシャドーボックス、西本さんのエピソードに感銘を受けたというマツダの若手デザイナーによるスケッチも贈られた。

西本さんに感銘を受けたマツダ社内の若手デザイナーによるデザインスケッチも贈られた

 ベストカーWebからは、僭越ながら「25年間ありがとう!」という言葉とともに息子さんが撮影したRX-7の写真をプリントしたTシャツを作りお贈りした。

感銘を受けたのでベストカーWebもTシャツを制作し西本さんにプレゼント

 西本さんは「ハンドルをもらえるそうです」とコメントしたが、司会のマツダ広報部辻本さんに「ハンドルは勘弁してください」と言われ、「あ、ダメですか?」と会場内が大爆笑するシーンもあった。

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■RX-7購入の経緯と1966年に免許を取得してからどんなクルマに乗ってきたのか?

息子さんとともにドライブ旅行に行った際に撮った写真(撮影:西本誠さん)

 1966年、21歳で免許を取得した西本さんの最初の愛車はトヨタパブリカだった。その後、2年後に再度パブリカを購入し、コロナ→コロナ→コロナと来て、コロナクーペと6台乗り継いできたが、コロナクーペが10万kmを超えたあたりからエンジンの調子が悪くなったため、2ドアのスポーツクーペに乗り換えようと思っていた矢先、息子さんと一緒に見ていた『頭文字D』に登場するFD3S型RX-7に一目惚れし、購入を決意。

 これまでずっとマニュアル車だったため、次のクルマはAT車にしようと思っていたそうだが、欲しいクルマがRX-7だったためマニュアル車を選んだという。

西本さんがRX-7を購入したのは1999年12月。5型のRX-7 TYPE RB Sパッケージ(5速MT)

 西本さんが購入したFD3S型RX-7は、1999年1月~2000年9月まで生産された5型のRX-7 TYPE RB Sパッケージ(5速MT)。TYPE RBの搭載エンジンは4型のタービンが組み合わされた13B2ローターのシーケンシャルツインターボで265ps/30.0kgmを誇る。

 当時の新車価格は312万8000円。大事に保管している当時のカタログとともに見せていただいた新車注文書によれば1999年12月13日。フロアマット(3万500円)とマッドフラップ(2万9600円)のディーラーオプションを装着していた。当時、保険の事務員をしていて、現金一括購入したという。

 当初はカタログに載っていたイノセントブルーマイカが欲しいと営業マンに伝えると、ブルーは飽きが来るのでハイライトシルバーメタリックを勧められてこの色にしたという。今思えば確かに飽きが来なかったのでこの色でよかったとコメント。

 「セブンの流線型のスタイルと、このブルーがカッコよくて、このブルーでお願いしますと言ったんです」と、目を輝かせながら話す西本さんの顔を見ていると、とても80歳のおばあちゃんとは思えない。まるで20代のクルマ好きのイキイキした若者の顔のようだ。なぜか嬉しくなってくる。

 これまで乗り継いできたクルマはだいたい10年くらい乗ると調子が悪くなってきて買い替えてきたそうだ。RX-7も調子が悪くなってきたらまた新車に買い替えればいいと思っていたそうだが、生産終了の話を聞いてより大事に乗るようになったという。

 驚いたのは車検整備をお願いしているマツダディーラー関係者以外、RX-7を運転させたことがないこと。息子さんも「お母さんが大事にしているクルマだから」と運転したことはないそうだ。正真正銘の1オーナー車だ。

 長崎は坂の多い町だからマニュアル車にとっては厳しい坂道発進を頻繁にしなければならない。最初は緊張したそうだが、今ではすっかり慣れて平気とのこと。「坂道発進で1mmも下がらずに発進できると嬉しくなってガッツポーズをすることもありました」とお茶目な西本さん。

 身長145cmの女性が坂道でマニュアル車を繰り颯爽と走っていたら誰しもが驚くだろう。それが80歳のおばあちゃんだったらなおのこと拍手喝采だ。

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■西本さんが25年間乗り続けてきたRX-7の状態と、長持ちさせる秘訣とは

とても25年前のクルマとは思えないほどピカッピカ

 マツダディーラー赤迫店長が西本さんのRX-7の程度について、とてもいい状態とおっしゃっていたが、25年経ってもここまでいい状態なのは珍しい。長持ちさせる秘訣はあるのだろうか?

 新車から25年間、ボディコーティングを最初は1年ごと、3年ごと、5年ごとにしてきたそうで、実際に見た感じもボディは艶々。普段、停めているのは屋根付きのカーポートということもある。洗車はコーティングしてあることもあってか、自分ではせず、天然の雨のシャワーで汚れや埃を落として来たそうだ。

 実際に実車を隅々までチェックさせていただいたが、左側の前後のホイールにガリ傷はあったものの、外観は素晴らしく綺麗な状態。左右ドア、エンジンルーム、フェンダーなどの修復歴はなかった。サスペンション関係やブッシュ類は交換したことはないという。ただ、若干、エンジンルーム内にオイルの滲みがあるそうだ。 

西本さんが走った総走行距離は7万7592km

 西本さんがメーターに刻んだ、RX-7の総走行距離は7万7592km。ステアリングは経年、走行距離からすると、とても状態がよかった。ダッシュボードはテカっておらず、天井も落ちていなかった。クラッチを踏んでMTのシフトノブを動かしてみたが引っ掛かりがなく剛性感もあり、クラッチペダルも軽く、ちゃんと整備されている印象。全体的にシャキッとしていた。

 西本さんに25年間、コンディションのいい状態を維持し続けた秘訣はあるのか聞いてみた。「私はクルマ(メカニズムやメンテナンス)のことは何もわからないので、整備士の方にここがもうすぐ悪くなりそうなので換えましょうとか、オイルが減ってきたので交換しましょうとか、とにかく早め早めの対応をしてくださったのがよかったのかもしれませんね」。

13B2ローターのRX-7用エンジン。若干のオイルの滲みがあるという

 以前、RX₋専門店に取材したことがあるが、ロータリーエンジンはレシプロエンジンでいうところのピストンリング、アペックスシールが摩耗(5㎏以下は厳しい)してきて圧縮が減ってきたり、破損して圧縮がゼロになることもあると聞いた。また燃焼室の冷却水が通っているライン近くが経年変化でサビてきて、燃焼室と冷却水のラインとの間が開通してしまい圧縮比がダメになるパターンが多い。

 蛇足となるが13B₋REWのエンジンブローを避ける予防策として、エンジンオイルは3000kmごとを目安に、安いオイルではなく良いオイルを使って交換する。冷却水と点火プラグも半年ごとを目安に交換するといいとのことだった。

 取材翌日にはマツダ広島本社にキャリアカーで運ばれ、当時のFD3S開発メンバーによって実際にシャシー、エンジン類などをしっかり診てもらって、交換するべきところは換えるという。

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■浦上警察署に免許返納、寂しくならないのか心配な今後の西本さん

浦上警察署に訪れこれから免許返納する前に撮影

 九州マツダ赤迫店での譲渡式の後、西本さんは息子さんのアクセラの助手席に乗って、免許返納のため長崎県警察浦上警察署へ移動。運転免許証の自主返納を申請し、十数分後に報道陣の前に表れ、受け取った運転免許取り消し通知書を見せてくれた。

 友人から運転免許の自主返納をいつするのか話題にのぼることがあり、その時にはいつかは返さなければいけない……と感じていたそうだが、78歳の時に人生のなかで区切りのいい80歳で免許を返納することを決めたそうだ。

 免許返納を考えている高齢者にとっては「いつ返納するのか」踏ん切りがつかない人も多い。西本さんは「人それぞれクルマは必要性があります。家族との折り合いもあると思います。歳をとったら家族の言うことを聞いて相談したほうがいいと思います。私は78歳の時に、息子に聞いてみたら、私はまだまだ元気なので80歳からもうちょっと乗ればいいと言われましたが、決心は揺らぎませんでしたね」。

 相棒がいなくなり、寂しくならないのかとても心配だが、57歳で退職して以来、ピアノ、コーラス、朗読、ガーデニングなど多趣味で「やりたいことがいっぱい」。これからは息子さんに教わりながらYoutubeに挑戦し、朗読系のチャンネルをやっていきたいそうだ。

 整備後、早ければ2025年3月頃には、広報車として貸し出されるということなので、本Webでもお借りしてレポートをしたいと思う。

西本さんと息子さんとの2ショット

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