東日本で2番目の規模を誇る舟塚山古墳。全長は186メートルに及ぶ(茨城県石岡市提供)

神社や寺を訪れて授かる「御朱印」が人気を集める中、茨城県石岡市は御朱印の古墳版ともいえる「御墳印(ごふんいん)」を作成し販売を始めた。石岡市は県内最大の古墳があるなど古い歴史を持ち、商業の街としても栄えたが、全国的な知名度は低い。御墳印を切り札に知名度を上げたい考えで、「水戸黄門を擁する水戸市にも負けない」と一部の市民は歴史プライドをのぞかせている。

舟塚山古墳の御墳印

石岡市が販売するのは国指定史跡、舟塚山(ふなつかやま)古墳(同市北根本)の御墳印。全長186メートルの前方後円墳で茨城県内では最大、東日本でも2番目の規模を誇る。5世紀前半に築造されたと考えられ、被葬者は不明だが霞ケ浦一帯を支配していた有力者とみられている。

市教育委員会のほか、市立ふるさと歴史館で1枚300円で販売中。実際に石岡市を訪れてほしいとの考えから郵送などは行っていない。

文化庁の令和3年度「埋蔵文化財包蔵地数」によると、茨城県では「古墳・横穴」が1840基ある。大小さまざまだが、7世紀初頭に築造され、赤い顔料(ベンガラ)を用いて円文や三角文、武具とみられる文様などが描かれた前方後円墳の「虎塚古墳」(ひたちなか市)、7世紀中頃に築造され室内から6体分の人骨のほか、銀製帯金具や青銅製品などが出土し、人骨の一部に毛髪や口ひげが残されている方墳の「武者塚古墳」(土浦市)などが知られている。

古代の石岡は7世紀末頃に国府が置かれ、国分寺や国分尼寺が建立された。茨城郡の役所も置かれ、その寺院である茨城廃寺跡も存在している。国府や国分寺に供給する瓦を生産した瓦塚窯跡や鉄製品を生産した鹿の子遺跡などもあるなど、石岡は古代から中世にかけては常陸国(茨城県)の中心だった。

市文化振興課の松川祥丈(よしたけ)課長は「いまでも国府跡や国分寺跡を訪れる歴史ファンはいるが、人数も限定され、行動範囲もほとんど石岡駅周辺に限られる。舟塚山古墳をPRすることで高浜駅付近など市内の別の場所も回遊して歴史の街、石岡をアピールしたい」と話す。

茨城県といえば県庁所在地であり水戸黄門で有名な水戸市やサッカーJ1、鹿島アントラーズの鹿嶋市、科学の街つくば市などの名が上がり、石岡市の知名度は全国的には今一つだ。

石岡駅近くの60代の男性商店主は「石岡は古い歴史の街。これは市民の共通認識だ。水戸黄門だって江戸時代の人。石岡の歴史はずっと古く水戸には負けない。とかく歴史に関して他の市町村に後れを取ることは許されない」と強調する。

石岡駅前でバスを待っていた70代の女性は「昭和40年代ごろまでは石岡は商業の街としてにぎわったが今は寂れてしまった。石岡は茨城発祥の地。歴史で町おこしをして、にぎわいを取り戻してほしい」と期待する。

こうした声に松川課長は苦笑いしながらも「ほとんどの市民は石岡市が歴史の街と自負している。御墳印は県内初で、きっかけは県外の自治体から声を掛けられたからだが、今後、いばらきフラワーパークや果物狩りなどと組み合わせて多くの人に市内全体を訪れてほしい」と話す。

さらに、松川課長は「県内外の他市町村も販売して、将来的には連携しながら各地を回遊していただきたい」と、広がりや古墳が新たな観光資源になることを願っている。

御墳印は、愛知県や埼玉県などですでに販売しており、観光客の誘致などで一定の成果をあげている。(篠崎理)

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