當麻寺石燈籠

中将姫伝説と當麻曼荼羅(たいままんだら)で知られている當麻寺の創建は不詳ですが、開基を恵灌(えかん)僧正によって三論宗としました。後に弘法大師の留錫(りゅうしゃく、行脚中の僧侶が滞在すること)から高野山真言宗、さらに浄土宗兼帯の寺院になったといいます。八角型の石燈籠は奈良時代前期の建立で、南面した金堂前にあります。

金堂は正面五間、側面四間、単層入母屋造りです。解体修理の時に見つかった棟木銘札に、「修理棟上正中三年丙寅卯月廿六日、執行少別当都維那弁誉満寺衆徒六十余人勧進権律師顕実、大工藤井友定小工十数人」とあり、鎌倉時代末期に大修理のあったことがわかりました。この古式な燈籠は当初から金堂の献灯として配置されていたとみられ、現在は覆屋の中に立っています。平成7(1995)年には重機が引っ掛けて倒壊しましたが、復元されました。

石燈籠の石材は二上山で産出する凝灰岩が用いられています。古式な印象を見て取ることができますが、いずれにしてもこの石燈籠は日本最古の遺品です。奈良時代前期の寺院創建時に造立されたと考えられます。高さ約217センチを測ります。上部の宝珠は当初の部材ですが非常に風化しています。笠部の蕨手(わらびて)をもたない形式で、饅頭笠となっています。火袋である石造の部分は欠失し、木製火袋を補っています。

中台は八角型で稜に合わせて、下端の各隅に雄大感のある大きく力強い単弁蓮弁八葉を配します。蓮弁は奈良時代に見られる古瓦などの紋様と同形式です。竿部は胴張りのある円柱、奈良時代建築様式に見られる胴張り柱を参考としたとみられます。中央に二筋の節を巻いており、銘文はありません。基礎はかなり風化摩滅しており、補修されたとみられ、上端の蓮弁を失っています。 (地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)

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