開幕まで残り1年となった2025年大阪・関西万博で、活躍が期待されるのがボランティアとスタッフ。1970年大阪万博でも「エキスポシスター」と呼ばれた女性たちが運営に協力した。当時のメンバーは「日本人にとって特別な日々だった」と振り返る。会場建設コストなどへの批判が目立つ今回の万博だが、ボランティアとして参加を希望する学生は70年万博の当事者たちと同じように、機運醸成に一役を買おうと意気込んでいる。
「ソ連館はどこにありますか?」「月の石を見に行きたいです」
77カ国が参加した1970(昭和45)年の大阪万博。当時26歳だった奈良市の日本画家、杉山洋子さん(80)は大阪府吹田市の万博会場にいた。ベージュのスーツに茶色のショルダーバッグの制服姿で会場を歩けば、次から次に案内を頼まれた。「会場の熱狂はすごく、みんな万博に夢中でした」と懐かしむ。
69年初めごろ、エキスポシスターの募集を知らせる新聞記事を読み、憧れを抱いて応募した。身長などの条件があったが「身体検査では髪の毛を少し盛り上げ背を高く見せました」。合格の知らせを受けたときは飛び上がるほど喜んだ。
千人を超える応募者から選ばれたのは約50人。同年6月から研修が始まり、開幕前に万博のPRのためテレビ番組に出演したり、建設中の会場見学で案内をしたりと忙しい日々を過ごした。
杉山さんは当時の資料を大切に保存している。思い出深いのは「エキスポシスター必携書」。《仕事に誇りと自信を》《明るく朗らかに笑顔をもって》と、万博に関わる上で心がけるべき信条がつづられている。
開幕後は会場で肌身離さず持ち歩き、道案内や迷子、けが人らに対応。来場者との写真撮影にも快く応じた。「世界的なイベントに関わり緊張したが、それ以上に来場者をもてなしたい一心だった」と語る。
「70年万博が盛り上がったのは、日本人が世界の文化と色濃く触れ合える絶好の機会だったから」。当時は高度経済成長期の最中で、海外はまだ遠い存在。だからこそ来年の万博には「意義を見いだしにくい人もいるかもしれない」とする一方、「また新たな景色が見られる万博になってほしい」と期待を込める。
今回の万博を運営する日本国際博覧会協会などは、4月末まで約2万人のボランティアを募集。5日時点で約1万5千人が応募している。大阪公立大3年の堤朋子さん(20)もその一人。大学でもボランティア活動に取り組み、「一生に一度の経験になるかもしれない万博に関わりたいと思った」という。
会場建設費の上振れや工事の遅れもあり、歓迎ムードは高まっていないが、それだけに万博の魅力を同世代に発信したいとの思いも強い。「ボランティアに選ばれたら、万博で得られる気付きや発見を同世代に伝えたい」。憧れの場所に立つ日を心待ちにしている。(宇山友明)
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