「最後に公衆電話を使ったのはいつですか?」この問いに多くの人が「5年以上前」と答えるほど、公衆電話の利用頻度は激減している。しかし、その姿が街から完全に消えてしまったわけではない。災害時における重要な通信手段として、公衆電話は新たな役割を担いつつあるのだ。

定点カメラで利用状況を調査

鹿児島テレビで公衆電話に関するアンケートを実施したところ、1週間で839人から回答が集まった。

最後に公衆電話を使った時期…「5年以上前」は6割超
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最後に公衆電話を使った時期について聞くと、「5年以上前」と答えた人が全体の63.8%に上り、使ったことがないという回答も18%にのぼった。公衆電話を使用した理由としては、「携帯電話が壊れた」「子どもに使い方を教える」「自分の番号を知られたくない」などが寄せられた。

実際に街の公衆電話の利用状況はどうなっているのか?鹿児島市の繁華街の一角にある天文館公園に定点カメラを設置し、3日間で10時間ほど取材したところ、4人が利用していた。
利用者の中には、見知らぬ番号からの折り返しに、防犯上の理由から公衆電話を使うという人もいた。

公衆電話の利用者に話を聞くと、「昔はあちこちに電話ボックスがあったんですけど、もうほとんどなくなっている」と台数の減少を感じていた。
確かに公衆電話の設置台数は年々減少している。

鹿児島県内の公衆電話の設置台数は10年でほぼ半減

鹿児島県内の過去10年間の推移を見ると、2014年度に3120台だったのが、2023年度は1646台とほぼ半減している。NTT西日本鹿児島支店・床次睦登広報課長は、「スマートフォンの普及に伴う、SNSやチャット等によるコミュニケーションが主流となってきていることから、公衆電話の利用は大きく減少している」と語る。

120年の歴史 災害時の強い味方

公衆電話の歴史は古く、日本では約120年前の1900年に始まり、当時は「自働電話」と呼ばれていた。1950年代には「赤電話」と呼ばれる公衆電話が地域の商店などに設置され、利用が急激に増加。

その後、電話ボックス用の青電話や100円玉も使える黄電話が登場するなど種類が増え、現在の緑色の公衆電話へと移り変わっていった。1980年代の鹿児島大学の合格発表のニュース映像には、喜びの報告のために公衆電話に駆け寄る学生たちの姿が映し出されている。携帯電話が普及していない当時、公衆電話は人々の生活に欠かせない存在だったのだ。

公衆電話の利用頻度は激減したものの、その重要性が完全に失われたわけではない。

特に災害時における役割は、今なお大きい。「災害の時に、災害用の“優先電話”になるわけですね。緊急時には大事になります」と、公衆電話について啓発活動を行う日本公衆電話会の上村貴美さんは語る。

実際に災害を経験した人々からも、公衆電話の重要性を裏付ける声が聞かれる。今回の取材では1995年の阪神・淡路大震災を経験した人に話を聞くことができた。「家の電話が使えなくて、公衆電話しか使えない時があった」と振り返る。この経験から、テレホンカードを常に携帯しているという。

進化する公衆電話 “特設公衆電話”の登場

公衆電話は新たな形で、その存在感を増している。鹿児島市の避難所に指定されている施設のひとつ、たてばば福祉館を訪ねた。市の職員が倉庫から取り出したのは、一般家庭でよく目にする固定電話と同じ形だが、実は「特設公衆電話」と呼ばれるもの。

各自治体とNTTが協定を結んで設置していて、一部の避難所には平常時でも公衆電話と同じ回線が引かれている。大規模災害が起こったときには、この電話機を回線に接続するだけで、すぐに優先電話として使うことができる。

興味深いことに、この特設公衆電話の県内の設置台数は増加傾向にあり、2022年にはついに通常の公衆電話の設置数を上回った。

鹿児島市地域福祉課・岩下啄巳さんは、「災害時にも使えるというところで、市で出前トークや地区別防災研修会などでも周知していきたい」と、特設公衆電話の重要性を市民に伝える必要性を語る。

120年以上の歴史を持つ公衆電話。その姿は街角から徐々に消えつつあるが、災害時の重要な通信手段として、新たな形で私たちの生活を支え続けている。普段は目にすることが少なくなった公衆電話だが、いざという時の強い味方として、これからも私たちのそばに存在し続けるだろう。

(鹿児島テレビ)

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