被爆者の全国団体・日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。愛知県原水爆被災者の会=「愛友会」は、県内の自治体を訪れ、被爆体験の重要性を理解してもらう活動をしています。

今回の受賞で長年の活動への功績が称えられる中、「次世代への継承」という新たな課題にも向き合っています。

■被爆体験の継承を…「愛友会」の取り組み

日本時間の12月10日夜、ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーで行われました。その関連行事に参加していたのが、愛知県碧南市に住む被爆2世・大村義則さん(68)です。

大村さんが副理事長を務める被団協の構成団体の1つ、愛知県原水爆被災者の会=「愛友会」は、被爆体験を継承することの重要性を理解してもらうため、11月、愛知県内全ての自治体をまわり被爆証言を行いました。

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愛知県内でも被爆者の多い一宮市では…。

2歳で被爆した丹羽洋子さん(82):
私は広島で2歳の時に被爆しました。2.5キロの場所でした。姉と祖母が亡くなりました。

9歳で被爆した伊藤定實さん(88):
あの怖さは地獄ですね、地獄。この話になるときに、最後まで話せんという。思い出して涙が出る。しかしこの涙はですね、今の涙じゃないんです。80年前の涙がたまって出てくるわけですわ。

1カ月で県内全ての市町村を回るため、1日に2つ以上の自治体を訪問することもありました。

2歳で被爆した丹羽洋子さん(82):
やっぱり平和だから、そんなことみんな考えてないよね。体験を話すのは大体、お膳立てをする人たちが声をかけて呼んでみえるから集まる。自らというのは少ないかなと思うんですけどね。

■被爆2世が活動の主力に…決意を新たにした大村さん

被爆者は平均年齢が85歳を超えました。ノーベル賞の受賞理由にも「未来への核のタブーの継承」が挙げられています。被爆者が高齢化する中、父が長崎で被爆した被爆2世の大村さんが、活動の主力になっています。

被爆2世の大村義則さん(68):
現在の危機と、未来に向かっての核のタブーを維持するために「平和賞を贈るんだ」と言われた時に、ノーベル委員会から託されたものというのを感じました。重大な責任を感じました。

ノーベル平和賞の受賞で、大村さんはこれまでの活動との違いを感じる場面もあったと言います。

被爆2世の大村義則さん(12月4日):
ノーベル平和賞の受賞がはっきりした上で、首長さんや議長さんが出てこられるところがいくつか出てきました。来年が被爆80年ということも相まって、それに合わせた自治体としての取り組みなんかがお話されましたので、良かったなと思いますね。

年々被爆者が減る中、父から聞いた体験を自ら証言する機会も増えてきた大村さん。直接経験していないことを証言することへの葛藤も、初めはあったと話します。

被爆2世の大村義則さん(12月4日):
本当に被爆の実相というのは知られていないと、世界に。今の危険な核戦争の状況を目の当たりにすればするほど、それを押し戻すために1番説得力がある被爆体験を語るのが大事なんだろうなと思う。戦争だとか核戦争に対する、それを何とか防ぎたいという思いですよね。

まもなく被爆から80年ですが、核なき世界への取り組みは改めて注目を集めます。大村さんは、被爆2世の自分たちだからこそ、核廃絶の必要性を訴え続けなければいけないと決意を新たにしています。

被爆2世の大村義則さん(12月4日):
私たち被爆の体験を直接聞ける最後の世代ですということはよくあるんだけど、そこで終わっては継承にならないんですよね。被爆の体験を聞いて、自分も被爆者の運動を引き継いで頑張りたいと思うということは、まさに心の被爆者というのはそういうことだなと。

(東海テレビ)

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