先日、神社に併設されている資料館を訪問し、案内に従って拝観料を払いました。展示品は普段見られない貴重なものばかりで、たくさんの人でにぎわっていました。私も有意義な時間を過ごし、資料館を後にしました。

ただ、少しもやもやした感じを抱えて。

周りの人に説明したとしても、この気持ちは分かってもらえなかったかもしれません。もう一度、入り口の案内を見つめました。料金が高かったことが不満なわけではありません。「拝観料」という言葉について考えてしまったのです。

辞書で「拝観」を引くと「見ることの謙譲語。つつしんで見ること」、「拝見」は「見ることの謙譲語」とあります。一方、「拝礼」を引くと「頭を下げて礼をすること。おがむこと」とあります。「拝」には謙譲語を表すために動作の前につけるものと、頭を下げて拝むという動作を表すもの、という2つの意味があるのでしょう。

社寺を訪れ、来館者の側が「拝観料はおいくらですか」と尋ねるのは自然でしょう。ただ、受け入れる側から「拝観料」と案内されると、謙譲語だけに少しだけ引っ掛かってしまいました。もちろん、社寺に関わる「拝観料」が、一般の美術館や博物館の「入館料」とは性格が異なっているのは分かっていますが…。拝観料だけではなく、「拝観時間」「ご拝観のみなさま」などと、至る所に拝観の文字が並んでいました。

校閲をしていると、このように仕事以外でも日本語が気になってしまいます。(た)

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