和歌山県広川町総務課で防災を担当する中塚敬太さん㊨(3月19日、同町)

「南海トラフ」など今後予想される3つの巨大地震で、大きな被害が見込まれる234市町村に防災専従職員がいないことが日本経済新聞の調べで分かった。多くの自治体で職員が選挙や財政などを兼務し、防災対策に専念できない状況にある。大きな揺れや津波から住民の命を守れるのか。苦悩する防災「兼務」職員の日常を追った。

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和歌山県広川町 担当1人「人手足りない」

3月19日、和歌山県広川町。紀伊水道に面した人口約6500人の町で総務課主査を務める中塚敬太さん(34)の一日は、官用車で3地区を回り、土のうを100袋ずつ配る作業から始まった。

その後は小学校など備蓄倉庫6カ所に保存用ご飯やミルクなどを搬入。午後は町役場の貯水槽周辺の排水溝から土を取り除き、軽トラックに積み込む作業に取り組んだ。

中塚さんが2年前に配属された総務課は職員9人が財政や選挙、人権など多様な業務を担う。防災担当は中塚さん1人。選挙の副担当も務め、2023年9月の町議選では候補者らの問い合わせに追われる日々を送った。

排水溝から土を取り除く中塚さん(3月19日、和歌山県広川町)

「南海トラフが起きた時、自分の町だけではどうにもならない」。3月中旬、能登半島地震の被災地、石川県能登町で和歌山県のリエゾン(現地情報連絡員)を1週間経験した中塚さんは不安を募らせる。

広川町は南海トラフ巨大地震が発生すると約30分で津波が到達し、想定津波高は最大9メートルに及ぶ。だが災害対策本部となる町役場は津波の浸水想定区域内にある。

代替施設は指定してあるが、災対本部の開設訓練を実施したことはない。町が想定する避難者は3100人。人口の約半数にあたるが、食料と水の備蓄は1日分程度にとどまる。「わからんことばかり。新しいことをやろうと思ってもマンパワーが足りず、周囲に専門知識がある人もいない」と中塚さんは打ち明ける。

23年末、町議会で「防災専門部署を設置し、危機管理の専門知識がある職員を育てていく考えはあるのか」との質問が出た。西岡利記町長は「人を増やしていくと町はもたない。ギリギリの範囲の中で少ない職員で頑張っている。何十年も防災を総務課がやってきて弊害はない」と答えた。

地元には1854年の安政南海地震で津波が襲った際、一人の郷士が稲わらに火を付けて住民を避難誘導した逸話が残る。各地区に土のうを配る活動は「自助」や「共助」の意識を高めたいと願う中塚さんの発案だ。「役場の対応には限界がある。災害は他人事ではないと住民に伝えたい」と意気込む。

東京都稲城市 消防現場も本部運営も

首都直下地震で震度6強が想定される東京都稲城市も専従職員ゼロ。市職員は約900人いるが、防災対策を担うのは消防や救急が専門の市消防本部の防災課員12人だ。防災対策を練るデスクワーク中でも119番通報があれば現場に急行する。救助活動を終えた後、本部に戻って残務処理することもあるという。

東京都稲城市では消防署員が防災担当を兼務する(3月18日、同市消防本部)

地震発生後は災対本部の運営や消防団との連携調整などが防災課の主業務だが、首都直下地震が起きれば救助活動が優先される。森田浩行防災課長は「管理職を除く全員が現場に出て防災課がカラになる可能性はある」とみる。一方で、市は被害情報が直接届く消防本部が防災を担うことで「被災情報の収集が円滑になると考えている」(森田課長)という。

日経の調べでは、「南海トラフ」「首都直下」「日本海溝・千島海溝」の3つの巨大地震で対策強化が求められる計1130市区町村のうち2割超に防災専従職員がいない。人手不足や財政難に直面する中で、どうすれば地域を守る防災体制を構築できるのか。国や自治体は重い課題を突きつけられている。

(浅沼直樹、矢野摂士)

防災増員の自治体も 名古屋市は110人態勢


名古屋市防災危機管理局は約70人の職員を抱え、大規模災害に備える(3月6日、同市)
防災職員を増やした自治体もある。名古屋市はその一つだ。最大死者1500人、重軽傷者8300人が想定される南海トラフ巨大地震に備え、15年に防災危機管理局を新設。職員66人を配置し、16区の防災担当職員48人とともに総勢110人超が防災対策に取り組む。
力を入れるのが地域との連携強化だ。267学区ごとに「地区防災カルテ」を作成。住民構成や災害履歴のほか、ハザードマップや指定緊急避難場所、防災活動の実施状況などが細かく記されている。市職員はカルテをもとに自主防災組織などと協議し、地域の防災力向上を図る。
21年の市職員アンケート調査では、自分の災害対応業務を把握していない職員が3割強いることが分かり、職場ごとに全職員が参加する防災研修も始めた。
市内で死者59人が出た昭和東南海地震(1944年)から80年。同局防災企画課は「南海トラフの切迫度は高まっている。防災を日常化し、災害に強いまちづくりを進めたい」と話す。

【「防災分野」これまでの調査報道】

  • ・避難場所5000カ所に津波リスク 5m以上浸水700カ所
  • ・災害弱者538万人、福祉避難所入れない 市町村7割で不足
  • ・石巻の即席「福祉避難所」に学べ 災害弱者ケアに知恵
  • ・拠点病院4割、医療チームの災害派遣ゼロ 経験不足懸念
  • ・首都直下地震「通常診療確保できず」6割 拠点病院調査
  • ・災害に強いはずが浸水 日立市庁舎「3つの警告」を放置
  • ・災害拠点病院とは 全国に770施設、阪神大震災が契機に
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