被爆体験者への支援を呼び掛ける原告の山内武さん(中央)ら=長崎市で

 「長崎を広島と差別し、さらに長崎を分断する判決で残念でならない」。原告の山内武さん(81)=長崎県諫早市=は判決後に長崎市で開いた記者会見で、肩を落とした。

 2歳の時に長崎の爆心地から北東約10キロの旧伊木力(いきりき)村(現諫早市)で原爆に遭った。放射性微粒子が付着した野菜や木の実を食べ、川の水を飲んで生活していたと訴え、原爆投下時に旧大草村(現諫早市)にいた妻つぎえさん(80)と共に救済を求めてきたが、判決は夫婦とも被爆者とは認めなかった。

 山内さんが8月9日に面会した際、岸田文雄首相は「政府として早急に課題を合理的に解決できるよう、具体的な対応策の調整を」と武見敬三厚生労働相に指示した。山内さんは「救済策が一歩でも二歩でも進むよう願っている」と語った。

 被爆者と認められた原告らも手放しで喜べない判決内容に複雑な表情を浮かべた。爆心地の東約8キロの旧矢上村(現長崎市)で原爆に遭い、被爆者健康手帳の交付が認められた浜田武男さん(84)=長崎市=は「認められない仲間がいるので、気持ちがすっきりしない」と暗い表情で語った。

 爆心地の約9キロ東の旧古賀村(現長崎市)で原爆に遭った松田宗伍さん(90)=長崎市=は被爆者と認められ、「やっと認められて安心した」と話した一方、「自分だけでは喜べない」とも。同じく原爆投下時に旧古賀村にいた妻ムツヱさん(86)も「自分はありがたいが、原告全員が認められず、やりきれない」と硬い表情で話した。【尾形有菜、百田梨花】

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