能登豪雨で甚大な被害が出た石川県輪島市で26日、一時孤立していた地区からの集団避難が始まった。この日は市が手配したバスや自衛隊のヘリで、避難所となる小学校などへ。21日の発生から5日が過ぎ、少しほっとした顔を見せる被災者もいた。
「やっと避難できた。(能登半島地震との)ダブルパンチやけど、泣いている場合じゃない」
孤立していた門前町七浦(しつら)地区の仮設住宅で暮らしていた長手(ながて)好枝さん(59)は約6キロ離れた市立門前東小学校に到着すると、自分を奮い立たせるように言った。
七浦地区では一時200人余りが孤立状態となり、通信も途絶えた。26日は市が手配したマイクロバスと自家用車で50人ほどが門前東小に、30人ほどが親族宅に向かった。小学校の児童は近くの中学校で授業を受けており、被災者は空き教室に身を寄せることになった。
長手さんは輪島市大沢町に住んでいたが、元日の地震で自宅が半壊した。ヘリで避難し、その後は七浦地区に完成した仮設住宅に入居。ようやく慣れてきたところで、今回の豪雨に襲われた。
災害のたびに、当たり前の暮らしが当たり前にできなくなる苦しさを味わう。今回は外出していた夫と通信が回復するまで連絡が取れず、孤立の苦しさを嫌というほど感じた。
地区内は断水し、この5日間は水道が使えなかった。「お風呂もトイレも使えず、ずっと水分や食べることを控えてきた」
地震後は「輪島に踏みとどまろう」と思っていた。その気持ちは今、大きく揺れている。
「このまま輪島に住むのか、いっそどこか違う場所に移住するのか。悩むところです」。少し寂しそうに話した。
小学4年の長男と2人で自家用車で避難してきた小谷有希江さん(40)は門前東小に着いた時、安心した表情だった。
「ヘリコプターによる避難は荷物が限られるので車で避難できるまで七浦で頑張るつもりだった。ほっとしてます」
孤立していた間、地区には備蓄された食料があり、困ることはなかった。通信が復活した時、安否を尋ねる連絡が「LINE(ライン)」で親類や友人から100件以上届いていた。仕事に出ていた夫ともずっと会えず「今夜ようやく会えます」と話した。
県によると、道路の寸断による集落の孤立は一時115カ所に上ったが、26日の時点で輪島市(1カ所32人)と珠洲(すず)市(3カ所10人)に減った。
一方、輪島市と珠洲市、能登町には26カ所の避難所に437人が避難している。こうした状況を受け、県はこの日、県内のホテルや旅館など宿泊施設を活用した「2次避難」を来週早々にも進めていく考えを示した。【長谷川隆広、竹中拓実】
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