御嶽山噴火災害から9月27日で10年。特集は噴火から生還した男性の10年です。仲間5人を失い今も1人が行方不明。「生き残った自分にできることは」と思い立ち、今、火山マイスターとして噴火の教訓を伝えています。
■「あっという間の10年…」
小雨混じりの朝を迎えた御嶽山の麓。
「安全に登ってください」
安全登山を呼びかけるのは啓発活動や山の魅力発信に取り組む「御嶽山火山マイスター」たちです。
この夏、メンバーとなった神奈川県綾瀬市在住の里見智秀さん(57)。あの日、山頂から生還した一人です。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「早かったですよね、10年。あっという間に10年たった感じ。御嶽山を登る登山者に対して、御嶽山は火山だよっていうことを皆さまにお伝えしたい」
噴火災害を風化させない。里見さんはそう心に決め、木曽に通っています。
■会社の同僚8人と登山
里見さんは会社の同僚8人と御嶽山を登り始めました。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「本当に快晴な状態で、御嶽山がモルゲンロートと言って朝日とともに山が茜色になる。そういうのも見られまして非常にいい天気でした。紅葉も途中は本当にきれいでした、一番いいときだった」
後輩に誘われ、その4年ほど前から登山に親しむようになった里見さん。山頂に近い八丁ダルミに来るまで火山を登っているという認識がなかったと言います。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「左手に噴気が出ていた。多分シューって音してたと思うけど、その時、初めて御嶽山は火山なんだというのを僕は認識できた」
■火砕流が…もうだめだと
山頂の剣ヶ峰についたのは午前11時40分ごろ。1人でいた登山から声を掛けられました。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「失礼ながら私の中では『緑のおじさん』って呼んでたけど、『緑のおじさん』に『写真撮ってくれ』って声かけられて」
「『緑のおじさん』とは池田町から来ていた野口泉水さん。山頂で互いに写真を撮り合いました」
「(野口さんに)『せっかくみんなで楽しくここに来たんだから、記念撮影なんだからそんな堅い顔しないでもっと笑顔になんなさいよ』と。その写真が噴火1分前だったので、11時51分に記録されているので」
撮影が終わった直後―。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「乾いた大音響のパンって音がした。運動会とか陸上競技の時に紙火薬を使うスターターのピストル、その音に一番近い。その1分もしないうちにもう一度同じ大音響のパンが聞こえた」
「神社の社殿の向こう側に下から湧き上がる噴煙を見た。それを見た時に初めて噴火した、火砕流だと。ここで焼け死ぬと思った。もうだめだと思った」
午前11時52分、御嶽山が噴火。
■祈祷所のカウンターの下に逃げ込む
噴煙で真っ暗になる中、里見さんは祈祷所のカウンターの下に逃げ込みました。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「神社の社殿の屋根に落ちてくる噴石、地面に着弾するダン、ダ、ダンという音と神社の床を突き抜けて地面に着弾する振動と音を耳と足裏に感じながら、そこで耐えてました」
噴煙や噴石が少し落ち着いた隙に近くの山小屋へ。
そこで仲間2人と合流できました。
■「自分は無傷で生きてしまった」
4時間後、里見さんたちは無事、下山。しかし仲間5人が亡くなり、1人が行方不明に。
そして、山頂で写真を撮り合った野口さんも帰らぬ人になったことを後になって知ります。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「自分は無傷で生きてしまった。何て表現していいか難しいけど、自分は生きられた中で犠牲になってしまったので、なんで亡くなっちゃうんだと非常に残念で悲しかった」
■生き残った自分にできることは
9月8日、神奈川県厚木市―。
こちらは祈祷所のカウンターの板。里見さんはこの下で噴火に耐えていました。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「このカウンターのおかげで僕も助かったのかなと」
祈祷所の取り壊しの際、地元の人から譲り受け、自宅に保管しています。
ストックやリュック、サングラスも火山がついたままの状態で残してありますす。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「自分の中では忘れられない出来事だったし、記憶にとどめておくべきだなというのもある」
生き残った自分にできることはー。
里見さんは月命日の27日には木曽に通い、慰霊を続けるようになりました。
2023年、山頂部の規制がようやく解除された時には発生時刻の11時52分に供養をしました。
里見智秀さん(2023年7月29日):
「11時52分だったんで噴火が、昼ごはん食べられなかった、全員。何でか分からないけど涙が出てきた、きょうは。今も泣きそう、うれしさ半分、悲しさ半分。ようやくあの日と同じ道を通ってこられたうれしさと、亡くなった人が多かったので、その寂しさなのかな」
■安全登山を啓発「火山マイスター」に
2023年まで、顔や名前を出さないことを条件に取材に応じてきた里見さん。それが今年から変わりました。安全登山を啓発する「御嶽山火山マイスター」になったのです。
7月、初めての啓発活動もしました。
御嶽山火山マイスター・里見さん:
「ヘルメットはありますか?」
御嶽山火山マイスター・里見さん:
「個人ではなかなか風化も止められないし、力になれないなと感じてきたので、顔も実名も伏せて行動してきたけど、そこをオープンにすることによって、よりマスメディアで取り上げてもらって、犠牲者と行方不明者が出た事実を今一度思い返してもらい、風化の抑制になれば」
■二度と犠牲者が出ないように
2024年9月27日―。
追悼式典に参加した里見さん。
命日の9月27日も剣ヶ峰へ行くつもりでしたが天候が悪く、断念しました。視界が悪い日の登山は噴煙に気づけない可能性もあるため、勧めないことにしています。
仲間を失い、木曽に通い、辿り着いた火山マイスターという「答え」。
これからも里見さんは登山者の啓発に力を入れる考えです。
御嶽山火山マイスター・里見智秀さん:
「年々風化してるなと非常に感じてる、そこが一番大きい。10年目って節目節目って言いますけど、私にとっては通過点であって、被災者の1人として無傷生還した1人として今後はこのような火山噴火があった時に犠牲者が出ないように活動をしていきたい」
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