北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(行方不明時13歳)の同級生、山田(旧姓・相賀)くに恵さん(59)=千葉県船橋市=が、5日で60歳を迎える親友のめぐみさんに宛て手紙をつづった。「覚えてる?ヨコがいなくなる直前のこと」と記し、拉致される前に「新潟まつり」に誘われたことなどを振り返り、「ヨコが一日も早く帰って来れること、毎日祈っているからね」と再会への願いを込めた。【中津川甫】
めぐみさんは父滋さん(2020年に87歳で死去)の転勤で、小学6年の時に広島から新潟に転居。市立新潟小でコーラス部に入部し、同級生の山田さんと真保恵美子さん(59)と仲良くなった。山田さんは「あいくに」と愛称で呼ばれ、3人とも市立寄居中に進学し交友は続いた。
手紙は「ヨコ、お誕生日、おめでとう!」の書き出しで始まり、新潟小で掃除の時間、山田さんとめぐみさんは腕を組んで「プロ野球ニュースの曲を口ずさみながら学校の階段を降りていた」と回顧。「どうしてそんな『儀式』を行うようになったのか、いまだに謎だよね」と書き、言葉がなくても以心伝心で思いが通じていた2人の絆を懐かしがった。
ただ2人は思春期を迎え中学生によくある恋愛話の行き違いに巻き込まれ、めぐみさんはある友人から「(あいくにが)ヨコの悪口を言っていたよ」と、事実ではないことを吹き込まれた。めぐみさんは山田さんを新潟まつりに誘って真意を尋ねようとしたようで「たまたま私が(誘いを)断ったから、ますます不安になったんだよね」と、手紙には経緯がつづられている。
その後、めぐみさんが勇気を出して山田さんに確認したことから誤解は解けた。山田さんはめぐみさんが拉致された年の12月に転校することになり、手紙でめぐみさんにだけ伝えたが、直後にめぐみさんは姿を消した。
「また元のように何でも話せる友達に戻れたのが、本当に拉致の直前だった」と山田さん。腕を組んで歌った絆を再び確かめ合う時間は突然奪われた。
「ヨコに再び会えたら、こう伝えたい。『もう答え合わせのいらない友達になろうね』と。答え合わせなんかしなくても、信じ合える友達に今ならなれるよね」。手紙にそう書いた後、最後に果たせなかった思いを添えた。「あの日、行けなかった新潟祭りに今度こそ!一緒に行こうよ。ボンボコ(真保さんの愛称)も誘ってさ」
山田くに恵さんが、めぐみさんに宛てた手紙の要旨
ヨコへ
ヨコ、お誕生日、おめでとう!もう60歳か。早いね~。48年前の今頃(ごろ)は、2人で腕を組んでプロ野球ニュースの曲を口ずさみながら学校の階段を降りていたのにね。どちらからともなくやっていたことだけど、どうしてそんな「儀式」を掃除の時間に行うようになったのか、いまだに謎だよね。
今日のこの日を、ヨコはどう過ごしているのかしら。今のご家族とお祝いしているかな。日本のヨコのお宅では、お母様がチョコレートケーキを用意して、待って下さっているはずだよ。
昨年、ヨコにお祝いのお手紙を送ってから1年。丈夫だけが自慢だった私も、人間ドックでちょっとひっかかるところも出てきました。(中略)(自宅前が解体工事で)広い空き地になっているのを見ると、新潟でヨコのお宅のお庭や、近くの空き地で遊んだことを思い出します。
覚えてる?ヨコがいなくなる直前のこと。ヨコと同じクラスだった子が、ヨコの悪口を私が言っていたと吹き込んでしまって、ヨコは不安になっていたよね。それが本当かどうか確かめようと、新潟祭りにも誘ってくれたけれど、たまたま私が断ったから、ますます不安になったんだよね。
やっとヨコが勇気を出して、私に直接確かめてくれて、誤解がとけて。私が12月で転校する話も、ヨコにだけ、そっと手紙で伝えた直後にヨコに会えなくなってしまったね。
ヨコに再び会えたら、こう伝えたい。「もう、答え合わせのいらない友達になろうね」と。答え合わせなんかしなくても、信じ合える友達に今ならなれるよね。そして、あの日、行けなかった新潟祭りに今度こそ!一緒に行こうよ。ボンボコも誘ってさ。ヨコが一日も早く帰って来れること、毎日祈っているからね!! 2024年10月5日 山田(相賀)くに恵
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