子供の頃、ふきのとうが苦手だった。母は春になると好んで山菜を食卓に並べた。ふきのとうもその筆頭。丸っこい愛らしさと相反する苦味が嫌で、私が泣きそうな顔をするのを、母は笑って見ていた。
「春は苦味を盛れ」という。冬の間、体内に蓄積された脂肪分や老廃物を、苦味が排出してくれるのだと母は言った。ならば、新陳代謝の盛んな子供には、苦味の手助けは不要ということか。とにもかくにも古人の生活の知恵には頭が下がる。
ふきのとうが終わると、次はふきの出番だ。大きな葉をつけたふきが八百屋の店先に並び、母はそれを求めた。苦味を舌が覚えていて、思わず母の後ろに隠れる私を店主は笑った。
いつからだろう。あんなにも苦手だったふきを、好んで食卓に並べるようになったのは。受粉後は背を高く伸ばし、綿毛を付けた果実を風に乗せて飛ばす。自身の役割をきっちりと果たすふきの姿に人生を重ねたい年齢に、私が達したということかもしれない。
万人に好かれなくともよい。少しばかりあくが強いが、それを受け入れてくれる人に出会えればよい。華やかさとは無縁だが、苦味という個性さえも味方にできる、ふきのような生き方をしたい。
中村裕子(61) 福岡県大牟田市
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