これまで存在が知られていなかった、夏目漱石の直筆の書簡(手紙)が新たに発見されました。内容を読み解くと、実に興味深いことが分かってきました。

明治時代の文豪、夏目漱石の直筆の手紙を発見したのは、東北大学の仁平道明名誉教授。漱石に関する論文も多数ある、漱石研究の第一人者です。書簡を見つけたのは、今年の春。ネットオークションに出品されているのを見つけ、自ら落札したそうです。出品者は元の持ち主ではなかったようで、どういう経緯でオークションに出されたのかは分かっていません。見つかったのは1枚だけで、文章の途中から始まっていて、書いた人も宛先も分かりませんが、手紙の途中の部分と思われます。

漱石の手紙である根拠を、仁平名誉教授は次のように挙げます。
(1)「漱石山房」の原稿用紙
まずは用紙です。上の部分に「漱石山房」という文字の入った、19字10行の特殊な原稿用紙。これは漱石専用のものです。例えば、「道草」という作品の原稿にもこの用紙が使われています。
(2)文字
次に文字です。手紙の文字と、漱石の原稿を比較してみます。いくつかを見るだけでも、同じ人、つまり漱石の文字と言えそうです。
(3)内容
内容に着目すると、まず「須永の家」という言葉。これは、漱石の作品「彼岸過迄」の登場人物と作中の表現です。そして、全てルビ・振り仮名についての指示である点です。漱石は、最初「彼岸過迄」を朝日新聞の連載で発表しましたが、単行本化するにあたり校正を任せた人物と何度も手紙でやりとりしていたことが分かっています。その手紙のほとんどが、同じようにルビに関する指示なのです。
(4)四つ折りの跡
さらに裏から見ると、横に3本の折れ目があるのが分かります。四つ折りにして、封筒に入れた手紙であることがうかがわれます。つまりは、校正者との一連の郵便のやり取りだと推測できるわけです。

以上のことから、漱石の直筆の手紙であることは間違いなさそうです。近代文学の専門家も、この手紙の発見に驚きを隠しません。

東北大学大学院文学研究科 仁平政人准教授
「漱石ほど有名な、さまざまなものが追究されてきた作家であっても、基本的な資料がまだまだ出てくる可能性があるという。これだけ保存状態がよく出てくること自体が驚くべきこと。内容も、自分の作品が成り立っていくその過程についての手紙、漱石の文学を考える上でも非常に貴重なものだと思う」

ちなみに、この仁平准教授は、発見者の仁平名誉教授とは親戚ではないそうです。
さて、手紙の内容をさらに読み解きます。1枚の半分以上の6行を使って強調しているのが、音読みで「妾」というこの文字、女性の一人称の読み方です。

手紙より引用(原文ママ)
『小生のかいた妾が切抜では「わたし」ゝと假名が振つてあつた。(中略)氣が付いたら「あたし」に御改めを乞ふ』

つまり、漱石が「あたし」というつもりで書いたものが、新聞に発表された際、「わたし」とルビが振ってあった、それは違うので、単行本化するにあたり直してほしい、という校正の指示です。漱石が気にしていた「わたし」と「あたし」の違い。どれくらいあるのか、数えて調べてみました。岩波書店発行の「定本漱石全集」は、漱石の直筆原稿を元に、ルビも含めて、正確に活字化したもの。それと、当時の新聞掲載を突き合わせていきます。すると、この「全集」つまり漱石の書いた原稿では「あたし」であるのに、新聞の記載が「わたし」となっているのが6カ所見つかりました。どれも登場人物の一人「千代子」という若い女性の言葉です。「彼岸過迄」の直筆の原稿を、1枚だけ画像で見ることができました。そこには、はっきり「あたし」と仮名が振ってあります。漱石が意識的に「あたし」と読ませたかったことがよく分かります。この部分は新聞のルビも「あたし」となっていて、漱石の意図が正確に反映されています。それだけに、「わたし」と間違った部分があったのは、漱石にとっては残念で我慢できないことだったのではないでしょうか。中でも、この部分は一連の言葉の中で「あたし」と「わたし」が混在する結果になっていて、明らかに整合性がありません。では、なぜ「あたし」でなくてはならないのか。それは、今回見つかった漱石の手紙に書いてあります。

手紙より引用(原文ママ)
『「わたし」とは餘程改つた場合に限る(中略)若い女のファミリアーな会話抔に「わたし」は可笑しい』

たしかに「わたし」と「あたし」では、人物の印象がかなり違います。

東北大学大学院文学研究科 仁平政人准教授
「どんな言葉であれば、生き生きした人物を示すことになるのかということを、本当によく考えているというのが見えてくる」

漱石の小説の魅力のひとつは、登場人物の言葉遣いから生き生きとした個性がにじみ出て、読者の共感を誘う点にあります。その秘密は、例えば、若い女性の親しい人への言葉遣いがどうであるのか。まさに「わたし」ではなく「あたし」というような、たった一文字で人物像を描き分ける繊細さにあるということが見えてきました。今回見つかった直筆の手紙は、そうした漱石の創作過程、思考回路を、まざまざと浮かび上がらせる、非常に貴重な資料と言えます。嘉

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。