1枚の写真から街を再発見!今昔さんぽ 諸国漫遊記。
今回、兵動さんは関西を飛び出して、広島で「今昔さんぽ」します。

スタートは広島・呉の「大和ミュージアム」。大迫力の戦艦「大和」の10分の1模型が、兵動さんを迎えてくれました。

瀬戸内海に面する広島県呉市は、かつて戦艦「大和」を建造した軍港であり、日本一の海軍軍需工場があったことで栄えた町。市内のいたる所にその名残を感じることができます。

そんな呉の港にある「大和ミュージアム」は、2005年に開館して以来、1600万人以上が訪れている人気の観光スポットです。

■関西を飛び出して広島で「今昔さんぽ」

今回探索する写真は、1956年(昭和31年)に撮影されたもの。学校ができたことを祝うパレードのようで、「祝 術科学校開庁」という横断幕が見えます。

「大和ミュージアム」で聞き込みを始めると、ボランティア通訳の藤本明弘さん(91)に出会いました。呉生まれの呉育ちで、名刺には藤本さんが描いた大和の精密な鉛筆画が印刷されています。

【藤本明弘さん】「91歳ですから、実物の大和を見ています。大和を見たのは9歳。私は戦争は嫌ですから、大和は軍艦でなくて美しい艦(ふね)(だと思っています)」

写真を見た藤本さんは、江田島(えたじま)には海軍兵学校があったと教えてくれました。

大和ミュージアムの秦雅之事務局長によると、江田島へは呉から船で20分ほどで行けるとのこと。また「ハマショー」こと浜田省吾さんの聖地が江田島の図書館にあるという情報も教えてくれました。広島県生まれの浜田省吾さんは、70年代から今なお活躍を続けるシンガーソングライターです。

■江田島で「ハマショー」になり切る兵動さん

江田島図書館へ行くと「ON THE ROAD江田島」という看板があり、矢印で示された先には昔のバス停のベンチの風景が再現されています。

館長の神田光枝さんに伺うと、浜田省吾さんは小学生の頃に江田島市に住んでいたことがあり、思い出の地を訪れた際にベンチに座っている姿が撮影され、ファンクラブの会報誌に掲載されたのだそう。その後、バス停のあった建物が老朽化で取り壊される時に、地元のファンや自治体がベンチなどを引き取り、江田島図書館で再現したのです。

兵動さん、サングラスを借りて「ハマショー」になり切って写真撮影です。

【兵動大樹さん】「こうやって写真撮れたら、ファンの人はうれしいやろな」

■“マツダスタジアム22個分”広大な海上自衛隊の学校

さて「術科学校」のパレードが撮影された場所はどこなのか。現在の海上自衛隊第1術科学校へ行き、広報係の山田士長に案内してもらいました。

ここにはマツダスタジアム22個分の広大な敷地に、2つの学校があります。第1術科学校では艦艇に乗船して、隊員の専門的な教育が行われます。もう一つは幹部候補生学校があり、そちらでは海上自衛隊の中の幹部になる学生が勉強しているということです。

幹部候補生学校本館には、歌の「同期の桜」のモチーフになったと言われる桜があります。ソメイヨシノの平均的な寿命は60年ほどと言われますが、「同期の桜」は樹齢100年を超え、「海軍兵学校」の時代から現在に至るまで、多くの人々がこの桜の元で学んできました。

■「記念すべき歴史的な1枚」

写真について、山田士長の上司である水谷1尉が詳しく教えてくれました。

終戦後~1955年までは進駐軍(GHQ)が江田島の海軍兵学校を接収していました。終戦から11年たった1956年、日本に返還され、第1術科学校の前身である「術科学校」が開庁した日に撮られた記念すべき写真だということです。自衛隊教育の始まりが感じられる歴史的な1枚だったのです。

【兵動大樹さん】「奥深い1枚でした。広島、楽しかったです」

(関西テレビ「newsランナー 今昔さんぽ 諸国漫遊記」 2024年10月15日放送)

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