約60年、市民に愛され2024年3月に閉館した旧岡山市民会館の解体工事が始まりました。舞台やコンサートだけでなく結婚式の思い出も詰まった市民会館。そんな思い出を残そうという取り組みが進んでいます。

(建川明美さん)
「熱烈なプロポーズいただきました。男性って忘れるんですかね?」
(建川孝二さん)
「忘れたわな…。(花嫁姿見て)きれいだったと思った、と思いますよ」

結婚当時の思い出を語るのは岡山市東区に住む建川孝二さん(79)と明美さん(82)。2024年、結婚57年を迎えたおしどり夫婦です。

(建川孝二さん)
「私にはできた女房で。(Q:ラブラブですね?)そうです、そうです」
・・・その気持ちを聞かせてください
(孝二さん)
「それは内緒よ」
(明美さん)
「主人じゃないと駄目だし、しばらくの間はお互い元気で過ごせたらいい」
・・・ごちそうさまでした(笑)

夫婦として人生のスタートを切った場所は、岡山市民会館でした。

1963年に開館した岡山市民会館は、建築家・佐藤武夫さんによって設計された地上4階、地下2階の建物。8角形のデザインは、当時としては、とてもモダンな建築でした。4階には結婚式場が整備されていて、約4000組のカップルが挙式しました。

(建川明美さん)
「自分たちなりの結婚式をしたいとの、お互いの思いがあったので、これは親にも相談せずに、市民会館は料金的にもお安いことはなんとなく知っていた。私たちは質素な結婚式だったので、三段の折りと親きょうだいだけだった」

建設から約60年、老朽化した市民会館に代わって、2023年、新しい市民会館、岡山芸術創造劇場ハレノワがオープンしました。岡山の文化芸術の発信拠点として新たな役割を担っています。その陰で、岡山市民会館は、2024年3月、市民に惜しまれながら閉館しました。

(建川明美さん)
「岡山市民のいろんな催し事ができる、いろんなことができる場だった。結婚式は一番ですがもろもろの思い出は詰まっているので残念」

明美さんは、そんな思いを文章にして岡山市が作った記念誌に寄せました。

【岡山市民会館には、沢山の思い出が詰まっています
・・・でも一番の思い出は、人生のスタート結婚式です。
・・・市民会館は無くなっても、いついつ迄も有りがとう。】

記念誌には、結婚式や舞台、発表会など約90人から寄せられた思い出の作文や写真が掲載されました。

(岡山市文化振興課 上西英二課長補佐)
「どれだけ皆さんが(思い出を)寄せてくれるか不安はあったが、われわれの予想以上に、たくさんの人から本当に思いのこもった文章や資料を届けてもらい、ビックリした」

11月から始まった市民会館の解体工事は、2026年2月まで続きます。建物自体は25年の夏ごろには、姿を消すということです。

(岡山市文化振興課 上西英二課長補佐)
「市民会館を思い出深い、何か、一部だけでも何か残せないか、いろんな声をもらう中で、岡山市として何ができるか一生懸命考えて、皆さんの思い出に残る形で残して行こうと」

岡山市は、館内を360度カメラで撮影し、VR画像をHPなどで公開することにしました。いつでも誰でも館内をのぞくことができます。七色に輝くモザイクガラスは、ホワイエに飾られ、市民会館のシンボルでもありました。モザイクガラスは建物の解体後に取り出され、再び市民に触れられるようにする予定です。

跡地についても市民の意見を聞きながら憩いの場所になるよう検討が進められます。約60年の歴史とたくさんの思い出は受け継がれていきます。

(建川孝二さん)
「はい、いただきます」
(建川明美さん)
「はい」

結婚から57年、建川さん夫婦は3人の子供に恵まれ、孫も9人。2025年には9人目のひ孫が誕生する予定です。

(建川明美さん)
「孫たちもそれぞれに自分たちの生活をしているので特別心配もないし、本当にそれは幸せなこと。できれば1日でも長く、主人と元気に過ごしていけたらいいと思っている」

(建川孝二さん)
「(Q:市民会館の結婚式は?)いいスタートだった。私にしたら、できすぎくらいのいいスタート」

(建川明美さん)
「記憶の中にはっきりと消えることなく刻まれていると思う」

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