「万国博を考える会」の(左から)加藤秀俊、梅棹忠夫、林雄二郎、川添登、小松左京の5氏=1967年(梅棹淳子さん提供)

開幕まで1年となった2025年大阪・関西万博の目的は世界の英知を集め、人類社会の課題解決に貢献することだ。こうした理念は「人類の進歩と調和」を掲げた1970(昭和45)年の大阪万博ですでに萌芽(ほうが)していた。SF作家の小松左京氏ら文化人有志は万博の基本理念作成に関与。高度成長期にあって未来を「バラ色」ととらえず、万博を「調和的発展」の契機にすべきだとの先見を示した。


飲み会の延長

「万国博の研究をしませんか?」

今から60年前の64年7月、京都・祇園の旅館の一室。小松氏が、文化人類学者の梅棹(うめさお)忠夫氏や社会学者の加藤秀俊氏ら当時30~40代の文化人数人にこう切り出し、私的勉強会「万国博を考える会」が産声を上げた。

当時は大阪の政財界が万博開催要望書を国に提出した直後。同10月の東京五輪に続く一大事業となる万博について、ざっくばらんに意見を交わしたという。万博の歴史に詳しい大阪国際大の五月女(さおとめ)賢司准教授は「計画を主導する国や財界などとは一線を画し、親しい者同士の飲み会の延長のような会だった」と語る。

60年代後半の日本は、物質的な豊かさを享受する一方で、経済発展に伴う公害問題が深刻化していた。世界は東西冷戦下でベトナム戦争が続いていた時代だ。

「バラ色」保証なし

「未来がバラ色」などという保証はどこにもない-。こうした認識を持つ小松氏は著書『未来図の世界』で万博の目的を《人類全体のよりよい明日を見出すこと、矛盾を解決し、よりいっそうゆたかで、苦しみのすくない世界をつくりあげて行くこと》と説き、万博を《そういう目標にそった情報の、世界的な交流の場》にしなければならないと強調している。

五月女氏は「多くの人が進歩ばかり見ていた時代に、今でいう持続可能性の考え方を示し、50年先の未来を先取りしていた」と評価する。

65年4月、政府が博覧会国際事務局(BIE)に70年万博開催を申請した時点で明確なテーマは決まっておらず、考える会のメンバーは主催者側の「非公式のブレーン」として、テーマと基本理念の作成に深く関わることに。泊まり込みで《脳漿(のうしょう)をしぼるような作業》を伴う奮闘の末に結実した基本理念は、次のように訴えている。

「多様な人類の知恵が、もし有効に交流し刺激しあうならば、そこに高次の知恵が生まれ、異なる伝統のあいだの理解と寛容によって、全人類のよりよい生活に向かっての調和的発展をもたらすことができる」

「調和的発展」を

こうした思想のもと、77カ国が参加した万博会場のパビリオンが発信したのは、夢と希望だけではなかった。日本館は唯一の被爆国として、きのこ雲と原爆ドームのタペストリーを展示し原子力の負の側面を表現。北欧5カ国によるスカンジナビア館では、産業技術の発展で生活の利便性が向上した半面、環境破壊が進んでいると訴えた。

高度成長期の日本が主催した70年万博は国威発揚型とされる中で、五月女氏は70年万博について「マイノリティー(少数派)の利益や環境にも配慮した調和的発展を目指し、多くの人に新たな未来像をイメージさせた」と指摘する。

課題解決の理念は、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマにした大阪・関西万博に受け継がれる。50年以上前に生み出された知恵のバトンを未来につなげることができるだろうか。

課題向き合う展示館

全ての博覧会は、現代社会の要請に応えられる今日的なテーマを持たなくてはならない-。「万国博を考える会」発足から30年後の94年、BIE総会でこうした決議が採択され、万博は課題解決型を志向するようになった。大阪・関西万博では参加国などが「いのち」を巡る課題に向き合うパビリオンを計画している。

健康と医療を柱に、大阪府市と経済界が出展する地元館「大阪ヘルスケアパビリオン」のテーマは、再生を意味する「REBORN」。入館時に測定する健康データをもとに、25年後の姿がアバター(分身)として館内の画面に映し出される。5人に1人が高齢者という超高齢化社会を迎え、健康寿命の延伸に役立ててもらう狙いだ。

またiPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った再生医療技術により、実際に拍動する「生きる心臓モデル」を展示する。

海外パビリオンでは、オランダが、持続的に利用できるクリーンエネルギーを水から生成する技術を紹介。ノルウェーやスウェーデン、フィンランドなど北欧5カ国は共同出展し、地球温暖化などの環境問題に関する展示を予定する。

民間パビリオンでは、NPO法人「ゼリ・ジャパン」(東京)が「海の蘇生(そせい)」をテーマに、最先端の映像技術などを通じてプラスチックによる海洋汚染の危機を訴える。

理念、さらに深掘りを 一橋大の七丈(しちじょう)直弘教授(科学技術政策)

一橋大の七丈直弘教授

アジア初の70年万博は小松氏や梅棹氏ら知識人による、未来に対する熟議と考察を経て開幕に至った。初開催ゆえか万博とは何か、なぜ開くのかという理念や目的を明確にする努力があった。

しかし70年万博の後は未来を自ら選択するのではなく、敷かれたレールに乗る「ビジョンなき成功の時代」に突入した。

そうした流れで「いのち」をテーマに大阪・関西万博が開かれる。だが、万博の理念や目的に関する議論と考察は不十分と言わざるを得ない。

万博は「未来」を生み出す手段であり、理念や展望をさらに深掘りすべきだ。また地球規模の課題をどう解決するのかについて、経済だけでなく文化的側面からのアプローチも必要だろう。

70年万博のパビリオンなどが解体される中、人類の英知を未来に継承する国立民族学博物館が会場跡地に建てられた。同様に、今回の万博で目指したものを後世に伝えるレガシー(遺産)を人工島・夢洲(ゆめしま)の会場近くに残すべきではないか。(聞き手 小川恵理子)

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