爆発で陥没し埋め戻された地点(中央右)の周辺で、他にも不発弾が埋まっていないか調べる作業員ら=宮崎市の宮崎空港で2024年10月16日午後10時52分、塩月由香撮影

 第二次世界大戦中に投下されたとみられる不発弾が爆発した宮崎空港で16日に始まった緊急点検。空港の歴史に詳しい専門家からは「より深く広い範囲を探査すべきだ」との指摘があがるが、空港を運用しながらの調査で制約も抱える。

 空港一帯には戦時中、旧海軍の飛行場があり、現在の滑走路とほぼ重なるメイン滑走路と、斜めに交差する滑走路が設けられていた。

 空港の歴史に詳しい郷土戦史研究家の稲田哲也さん(53)=宮崎市=が分析した米軍戦闘詳報によると、市内が初めて空襲を受けた1945年3月18日から5月11日までの約2カ月間、飛行場周辺に250キロ爆弾を中心に約3100発が投下された。中には安全装置が解除されないまま投下され、不発弾になった可能性の高いものが、250キロ爆弾で計32発分あったとの記録も残る。

「一定数は不発弾になった可能性」

 市などによると、空港内では56年以降、不発弾が5個発見され、うち2011年と21年の計3個はメイン滑走路の南側だった。稲田さんが入手した45年4月撮影の米軍の航空写真でも、複数の黒煙が滑走路周辺に写り、集中して爆撃を受けたと推測。「一定数は不発弾になった可能性がある」とみる。

 7年前には稲田さんが国土交通省宮崎空港事務所の許可を得て斜めの滑走路跡(80年に供用廃止)を調査し、不発弾を埋めたような痕跡を二つ発見。空港事務所職員に伝えたこともあったという。空港事務所は毎日新聞の取材に「記録が残っていない」として指摘箇所を当時調査したかどうか明言しなかった。ただ、国交省は10月末以降空港内で範囲を広げた調査を想定しており「指摘があるなら次の調査に盛り込む方向で検討したい」とも述べた。

郷土戦史研究家の稲田哲也さん=宮崎市内で2024年10月6日午後0時31分、塩月由香撮影

 緊急点検は地表からセンサーをあてる水平探査で実施するが、深さ2メートルまでが限界で、より深部を調べるにはボーリングによる鉛直探査が必要だ。稲田さんは水田を砂で埋め立ててできた飛行場の成り立ちや、飛行場に所属した元隊員から「不発弾が深い場所にあり爆発しなければ埋めた」などの証言も聞いたとして、今回の爆発を「250キロ爆弾であればもともとは5~10メートルの深さに埋まっていたはずだ」と指摘。深部まで調査する必要性を訴える。

 16日の点検時に取材に応じた空港事務所の加藤浩介空港長は「探査で穴を掘ると、埋め戻さないと空港の運用が再開できない。現実的な選択肢として水平探査で速やかに安全を確認していく」と述べた。【塩月由香】

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