水俣市出身で2018年に亡くなった版画家の秀島 由己男さん。晩年の約25年間を玉名郡和水町で過ごしました。初公開の作家・石牟礼道子さんとの共作など、開催中の展示会の作品を通して、多彩な表現の足跡をたどります。

漂う二つの紙風船。すれ違い、結びつくことなく去っていく、人の世の無常。秀島由己男さんの人生観を表し、「自画像」ともいわれています。

【版画家 秀島 由己男さん】
「この世のものでもない。あの世だけのものでもないもう一つの世界があるというような、そういうものが私の核になりまして、作品が作られているのだなという思いがいたします」

秀島由己男さんは1934年、水俣市に生まれました。幼い頃から絵が好きでした。中学校を卒業後、両親を相次いで亡くし、働きながら絵を学びました。

23歳のときに日本を代表する版画・彫刻家の浜田 知明さんに出会って師事するようになり、浜田さんからプレス機を譲られ、銅版画の制作を始めました。

まるで写真のように繊細で緻密かつ幻想的な表現。人間の悲しみや苦悩を刻んださまざまな作品を発表し、2018年、84歳で亡くなりました。

【熊本市現代美術館 冨澤 治子 学芸員】
「右側の薄いブルーの作品は版画を刷った後に塗るという作業をされたもので、左側がおそらく2000年過ぎてからだと思うんですけど、カラーコピーして、さらに手を加えようとしていたものでこの霊歌〈ねむり〉、1970年に作ったものが同じイメージを何回も何回も色を着けたりとか、ちょっと何かを描き足したり、延々とされるという」

玉名市立歴史博物館こころピアで開かれている作品展です。『初期のペン画から銅版画の代表作とその原版、モチーフとなった資料、油絵など多彩な表現の足跡をたどることができます。

【熊本県文化財保護審議会 前川 清一 委員】
「人に助けられながらずっと生きてこられたという感じがするんです。(両親を亡くし)早くから20歳ぐらいから頼る人はいなくなるわけです。それで非常に苦しい生活をずっと送られて、何年も居候みたいな生活をずっとされてきているわけです。秀島さん自身『いろんな人に助けられた』と。非常に孤独、精神的に自分を追い詰めて絵を描くような、そういう性格の持ち主でした」

【熊本市現代美術館 冨澤 治子 学芸員】
「職人魂みたいなものを結構、大事にしていたので、ものすごく集中して作られていた方という印象があります。写真じゃないかというぐらい細かく描かれているんですけれども、ちょっと幻想的、夢のような世界みたいなものが描かれている。ちょっと恐ろしいみたいな印象でお聞きする場合も多いんですけれども、表面の持っているちょっとなんか怖いかなという印象に流されずに、背後にある一緒の物語性みたいなもの、一個一個の作品の何が描かれているのかなというところにある我々との距離の近さみたいなものに触れていただけるといいのではないかと思います」

秀島さんは1984年に東京に転居しました。しかし、体調を崩し、3年後に熊本に帰りました。1992年に玉名郡三加和町、現在の和水町に移住し、約25年間を過ごしました。秀島さんは膨大な数の自分の作品と浜田知明さんや海外の作家などの作品の貴重なコレクションを残しました。

これらの遺品を保管している和水町は2020年から調査を進めていました。

(2022年6月/和水町にある保管庫)
【和水町教育委員会 社会教育課 文化係 西山 真美 係長】
「作品のモデルになった物とかは別の二部屋に保存しています」
(結構、気の遠くなるような・・・)
「何年か作業・・・」

(そして、2年3カ月後/ことし9月)
現在は約1600点が確認できたそうです。

【和水町教育委員会 社会教育課 文化係 西山 真美 係長】
「『春の城』は300点以上の挿絵シリーズで、全ての原画が残っているわけではなくて、その一部が残っているものになります}

作家・石牟礼 道子さんの新聞連載小説『春(はる)の城』の挿絵です。

「これはそのまま天草のどこかの風景を作品に生かされているのかと思います」

秀島さんは10代後半の頃、通っていた水俣市の絵画教室で石牟礼さんと知り合いました。

【秀島 由己男さんと石牟礼 道子さん】
「毎日のようにご飯を食べに(石牟礼さんの家に)通いまして、おかげで現在の私が生き永らえているんじゃないかと」
「そんなオーバーな」
「僕の良き思い出というのはあの頃ですね」
「あなただけじゃなくて、別に私がゆとりがあってごちそうしたわけではない。あり合わせ」
「僕だけじゃなくて何人か毎日いましたね」

2022年、遺品の中から未発表の2人の共作が数点、見つかりました。

【熊本県文化財保護審議会 前川 清一 委員】
「石牟礼さんに対して親しみを込めておられるわけです。版画と違って非常に温かさがあるわけです。『お姉さん、お姉さん』と言って親しみを込めて接しておられました。それがこういう絵に現れているのかなと思いますね」

秀島さんのモノクロの世界の作品は「暗い」「冷たい」と言われがちです。しかし、そこには本当に描きたいものを、心の中で求めたものを一心不乱に刻み込んだ「輝き」があります。

【親交があった竹下 周三さん】
「少年の心を最後まで持っとられたと思います。和水町全体でこれを守っていって、町の宝になるような位置づけにしていただきたいと思います。熊本の誇りになると思うんです」

【熊本市現代美術館 冨澤 治子 学芸員】
「すでに秀島さんはお亡くなりになられているんだけど、今回、調査に当たられてきた和水町のスタッフさんは、秀島さんと秀島さんの作品にものすごく興味を持つようになったんですよ。亡くなった後でも新しい関係性を町と作家は作ることができるんだなというのがすごく大きな気づきでした」

【和水町教育委員会 社会教育課 文化係 西山 真美 係長】
「芸術作品って芸術家の感性から生まれるものかなと思っていたんですけど、創作の裏側には努力みたいな試行錯誤がいろいろ見えてきた。代表作としてご紹介した創作の基となる資料が膨大にまだ残っておりますので、今後も引き続き、秘密を探しながら調査をしたいと思います」幼き日からの一途な思いと一心に追い求めた表現。

『版画家 秀島由己男コレクション展ー創作のひみつー』は、玉名市立歴史博物館こころピアで10月27日(日)までです。(入場無料)

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